ふと我に返ると、通し稽古に出る時間も迫っていたので、
まだ衝撃から立ち直れず泣きじゃくるM嬢をとにかく落ち着けようと、
「バレエとピアノは続けていいんだよ。
バレエとピアノを続けられる学校を、落ち着いて探そう!」
そう言うしかありませんでした。
(あぁ・・・また白紙だな・・・)
いっぱい探して、最善だと思った学校を受けたので、実際はもうなんの当てもなく、
この瞬間は完全なるノープランでしたが・・・
ただバレエとピアノを続けることを死守しよう!と決めたことで、わたしもM嬢も、想像以上に清々しい気持ちになっていました。
学校をとても気に入っていたので入りたかった。でも、バレエとピアノを縮小していく・・・という未来が決定になる、ということを考えるだけで、どれだけ重苦しい気持ちになっていたか、たった1日だけれども、実感しました。
でも実を言うとわたし自身は、9月の茶話会の時点でその話を聞いていて、そこから数ヶ月の間、そのことがずっと心のどこかで引っかかっていました。しかし細かい部分は「担任の先生との相談になる」という話だったので、これは面談という、担任の先生とガッツリ向き合う機会、ここで相談するしかないのだと、この結論が出る日を待っていたのです。その結論がようやく、出た。それは残念な結果だったけれども、でもとても清々しかったのです。
風通しのよくなった頭で考えてみました。
バレエもピアノも続ける、その上で、娘はやっぱりどこかの学校に行きたい。勉強をしたい。もう日中家にいるのは退屈なのです。
この一件を通じて分かったことは、公立小の自由度の高さでした。
お稽古事は何をやるのも自由だし、先生とコミュニケーションをしっかり取ることができれば、お稽古事をある程度優先させることもできる。そのことで周囲との軋轢は多少なりともあるけれども、そこで自由になれるか、不自由を感じるか、それは本人と親の考え方ひとつだということもわかっていたし、欠席や遅刻が多くても、勉強ができなくても、怒られたり退学になったりしないことも素晴らしい。
公立がよいけれども、M小(元の学校)にはもう行きたくないというM嬢の確固たる意志があったので、じゃあ、お隣やそのまたお隣くらいの公立小はどうだろう?
事情を話せば越境は相談にのってもらえるのではないか?と思いました。
このアイデアに、なんとM嬢が乗ってきました。
以前は、これすらも断固拒否だったのに!!!
これはすごい進化でした。
近くの〇〇小がいいか、〇〇小がいいか、などと色々話しているうちに、わたしも、たぶんM嬢も、気づいてしまったのでした。
M嬢が休んでいる数ヶ月間も、わたしはほぼ毎週担任の先生やその他の担当の先生と会って面談をしていて、M嬢の状況を報告してきていたので、M小学校には娘の状況はよくわかってもらっていました。全く知らない学校に入って、先生にも子ども達にも、一から自分をわかってもらうようがんばるよりも、すでによくわかってもらっている場所で、その上での復帰が、実は一番ラクなんじゃないか、ということに・・・!復帰してもしツラければ、またたくさんの質問に答える必要もなく、多くを説明しなくても、あぁMちゃんだからね、と思ってもらえる!バレエとピアノをやっているMちゃんだと認識してもらえる!
「なんか、M小でもいいかぁ・・・」
「それだ!」
なんか降りてきたんでしょうか。
奇跡のような瞬間でした。
一周回って、戻ってきたみたいです。
そこには、ひと周り頼もしくなったM嬢の表情がありました。
M小というと、トラウマのようになってギャァァっと泣き出していた子ではなくて、
もう一段高い位置から、自分とM小を見つめているM嬢の表情でした。
「もう怖くないかもしれない」
M嬢はそう言いました。
わたしも本当にそう思いました。この8ヶ月間、自分に向き合って、どれだけのことを考え悩み、そして楽しいことも、喜びも、大変なことも、経験し、乗り越えてきたか!
もう以前のM嬢ではない!
「あの場所に戻っても、今度はMはMでいられる。
だから戻るけど、もう前と同じじゃない。」
「バレエを辞めるという想像をする」という臨死体験(笑)によって、M嬢が生まれ変わった瞬間でした。
つづく