学校で習う歴史というのは、
それが「唯一無二の真実」というわけではなくて、
数多く存在する歴史観、解釈の中のひとつである、
ということを、35年以上も生きてから知りました。
なぜ、最近「歴史」に注目しているかというと、
歴史は「進学に必要な教科のひとつ」ではなくて、
日本人が日本人であるために必要な、
「日本語」と同様に、大切なもの、日本人の魂だと思うからなのです。
教育の中で、どのような歴史観を教えていくか、
ということは、日本人が日本人であるために、
日本人が日本人として成長していくために、
非常に重要なことだと思うのですが、
やっぱりそこには「意図」が存在している。
それはどの国であってもそうです。
世の中の出来事、世界の出来事を考察するにしても、
歴史を知らなければ、その出来事を真に理解することはできません。
ネットニュースなど表面をなぞっていても、なんの考察も生まれませんし、
むしろ情報の溢れる現代では、
表面にとらわれて本質はどんどん見えにくくなっていきます。
日本はどうするべきか、自分はどう生きて行くべきか、
子どもをどう育てるべきか、
そういった命題へ、なんの示唆も与えてはくれません。
日本人として、歴史を知らないままでは死ねない。
人の親として、歴史を知らないままでは、育てられない。
事業者として、歴史を知らないままでは、活動できない。
そう思いました。
もちろん、学校でやるべき歴史はひととおりやりました。
でも丸暗記です。大学受験に向けて歴史の勉強をしていたとき、
違和感だらけでした。言葉にならないモヤモヤと「?」を抱えながら、
仕方ないので丸暗記に切り替えました。
今になって、その違和感の正体がようやくわかったのです。
長年の便秘が解消したかのようなすっきり感でした。
そして、力が湧いてくるような感覚でした。
言説は多数あります。
立場の数だけ史実も存在するのかもしれません。
しかし、どれを信じるのかは、個人の自由です。
わたしは自分の信じる歴史を、
子どもにも伝えていきたいし、わたし自身の人生の指針、
在り方の指針にもしていきたいと思っているのです。