子ども時代って、将来仕事を得て社会貢献&納税する人間になるための、訓練期間なんでしょうか。
実際は、いろいろな経験や学びを経て大人になり、結果的に子ども時代の学びや経験が、役に立つというのは事実ではありますが、では、逆算して、「将来役に立つことをやる」のが子ども時代なのでしょうか。
もちろん、役に立つことをやるのはいいのですが、
「役に立つことのみをやる(役に立たないことはやらない)」
「役に立つことを最優先してやる(それ以外は切り捨てる)」
というのは、どうなのでしょうか。
そもそも「将来役に立つか立たないか」って、それは周囲の大人が判断できることなんでしょうか。本当に。
「将来役に立つか立たないか」なんて、時代によっても変わりますし、国や地域によっても違います。
周囲の大人が「将来役に立つ」と判断したことだけをやらせて、それ以外のことは、わがままと取られたり、サボっていると取られたり、遊んでいると取られたり、大切にしてもらえなかったりする。すなわち価値を認めてもらえない。
最近、「役に立つ(と思われる)こと」をやらせることへの力が、非常に強まっていると感じます。見えない圧が強まっています。
現代の子どもたちの見えない辛さや、日本社会の息苦しさの原因は、こういうところにもあるのではないかな、と思うのです。