色を愛する

本質派コスメ カラフルオーガニック代表のつぶやき

「あるものから選ぶ」ことの危うさについて

「あるものから選ぶ」

このことに、疑問を感じない人が多いらしい。そう感じています。

 

 

最近、とある時代の歴史を学び直しています。学ぶというより、調べて検証しています。誰かが言っていることや書いてることを鵜呑みにするのは、それを言っているのがどんなに素晴らしい人であっても、精神的奴隷への第一歩です。

 

「歴史」って不思議ですよね。学校の歴史の授業で、これは誰がまとめたんだろう?ということがずっと不思議でした。今ならわかります。権力の座についた者が、自分こそが正義だという、そのプロセスを記録し、その積み重ねが「歴史」ということになり、子どもたちに「教育」として「意図的に」伝えられていく、そしてそれが世の中の「常識」となっていく。ということです。「学校で学ばされる歴史」とは基本的にそういう性格のものである、ということを、私たちは知る必要があります。
だって「~したがって、現在は権力が暴走し、間違った世の中になってしまっているのです」というような習い方なんて、学校では絶対にしないですからね。

 だからわたしたちは「歴史」を知ったように思っているけれど、それはどの立場からみた「記録」なのだろう?どんな「意図」があるのだろう?ということを考える必要があると思ったのです。今、この瞬間起きている出来事も、いつかは「歴史」となって語られるのです。何がどのように語られるのでしょうね。誰が語るのでしょうね。

 

 

 今わたしたちが、自分で選びとっていると思っている選択肢も、

会社や仕事、家や家具や洋服や化粧品、食品、農産物、書籍も。すべて、自分で選んでいると思っているものですらも、その選択肢は、意図的に選ばれて並べられているものにすぎない。「意図的に選ばれて並べられているもの」から私たちは選ばされている。
 

 思えば、子どもの頃からこのことをずっとずっと考えていました。うまく言葉にできなかったけれど。
 

 なぜ、たくさんの選択肢の中から、それが選ばれて今、わたしたちの目の前に並べられているのだろう。違う地域であれば、もっと別の選択肢があり、違う国であれば、またもっと違う別の選択肢がある。違う時代であれば違う選択肢があった。または、自分で新しい選択肢をつくる。

 その可能性を常に感じることが、奴隷を抜け出す第一歩なのだろうと思っているのです。

 

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